山の景色を見て、「ここに来てよかった」と思う。
風を感じて、少し気持ちが軽くなる。
誰かのことを思い浮かべて、「元気でいてほしい」と願う。
そのとき生まれた想いは、自分の中だけで終わるのだろうか。
僕は、人の想いが場所や物にも何かを残すのではないか、
と考えることがあります。
それを、ここでは「想いエネルギー」と呼んでみたいと思います。
これは、ISIORIで石を山へ持っていくことにもつながる、僕なりの仮説の話です。
「想う」とき、脳では何が起きているのか
人が考えたり、何かを感じたりするとき、脳では神経細胞が働いています。
神経細胞は微弱な電気信号をやり取りしていて、
その電気活動を記録するのが脳波検査(EEG)です。
米国国立医学図書館の脳波検査の解説
脳波は、強く願ったときだけに出るものではありません。
眠っているときも脳は活動しています。
それでも、目に見えない「想う」という営みに、
測定できる身体の活動が伴っている。
このことに、僕は興味を引かれます。
ここから、少し想像を広げたくなるのです。
もし、人の想いが自分の内側にとどまらず、
何らかの形で周囲にも残るとしたら。
何人もの想いが重なったとき、そこに何かが生まれるとしたら。
ただ、ここには科学的な説明からの飛躍があります。
脳波が測れることは、想いが空間に蓄積したり、
霊になったり、石に宿ったりする証拠ではありません。
ここから先は僕自身の仮説です。
「想いエネルギー」も、物理学で測定されるエネルギーと
同じ意味ではなく、想いや気配を考えるための呼び名として使います。
もし、霊が「想いの集合」だとしたら
霊という言葉を聞くと、亡くなった誰かが、そのまま姿を
変えて存在している様子を思い浮かべるかもしれません。
僕はそこに、もう一つの想像を重ねています。
霊と呼ばれるものの中には、人の想いが集まり、
何らかのまとまりになったものもあるのではないか。
誰かを大切に思う気持ち。
何かを守りたいという願い。
何度も思い出される記憶や、その場所への愛着。
もし、そうした想いが何らかの形で残るなら、
一人の想いだけでなく、たくさんの人が重ねた想いにも
「気配」のようなものが生まれるのではないか。
脳波を知ったことが、この発想のきっかけの一つになりました。
ただし、脳波そのものが集まって霊になる、
という仕組みを説明できているわけではありません。
霊の正体を決める答えとしてではなく、
目に見えないものを考える一つの見方として、
僕はこの想像に惹かれています。
パワースポットは、人の想いで育つのかもしれない
この見方を場所に広げると、パワースポット
についても、少し違う考え方ができます。
きれいな景色。
木々の匂い。
水の音や、肌に触れる風。
遠くまで見渡せる開放感。
まず、その場所にある自然が、人の心を動かす。
「気持ちがいい」
「来てよかった」
「また来たい」
訪れた人の中に、そんな気持ちが生まれる。
地形や地質、磁場のような目に見えない環境にも
何か関係があるのだろうか、と想像することはあります。
ただ、心地よさと磁場の関係について、
僕が根拠を持っているわけではありません。
僕がここで考えているのは、そこに人の想いが重なっていく、という仮説です。
もし「いい場所だな」と感じた想いが、その場に少しずつ残るのなら、
自然の心地よさに、人の感動や感謝が加わっていく。
次に訪れた人も何かを感じて、また明るい想いを重ねる。
場所が人の心を動かし、人の想いが、その場所をさらに特別にしていく。
そんな循環があると想像すると、パワースポットは、
最初から完成している場所だけではないのかもしれません。
そこを訪れ、大切にしてきた人たちと一緒に、少しずつ育っていく場所。
僕には、その考え方がしっくりきます。
山頂には、「ここまで来られた」がある
僕が山に惹かれるのは、景色に加えて、そこまで登る過程があるからです。
登っている最中は、疲れます。息が上がることもあります。
それでも、自分の足で一歩ずつ進んでいく。
そうして山頂に着いたときには、同じ景色を見るにしても、
「ここまで来られた」という気持ちが重なります。
「きつかったけど、登ってよかった」
「こんな景色が見られて、うれしい」
「無事に登らせてもらって、ありがとう」
山頂は、そうした達成感や感動、感謝が
生まれやすい場所なのではないか、と僕は思っています。
もちろん、すべての人が同じ気持ちになるわけではありません。
それでも、僕が石と一緒に持ち帰りたいのは、そういう前向きな気持ちです。
僕にとっての「プラス」は、電気の正負や測定値ではなく、
この「よかった」「ありがとう」のことです。
もし想いが場所に重なるのなら、山頂には、
これまで登った人たちのそんな気持ちも重なっているのかもしれません。
その場所に、石を連れていく
ここで、石の話につながります。
もし人の想いが場所に残るのなら、
その場所で時間を過ごす石にも、
何かが重なることはないだろうか。
自然から生まれた石が、自然の中で、人の感動や感謝に触れる。
その石を手にした人へ、何かが受け渡されることはないだろうか。
僕が「石にもエネルギーが宿るのかもしれない」と考えるとき、
思い描いているのは、そんなつながりです。
石に何が、どれだけ蓄えられたのかを測る方法を、僕は持っていません。
だから、山へ運ぶ意味を、見えない効果の保証に置くつもりはありません。
そのうえで、石を持って自分の足で登り、
山頂の景色の中で撮影する。
その時間に、身につける人への想いを重ねたいのです。
「この人が、自分の大切にしたいものを見失わずにいられますように」
「迷っても、また自分で一歩を選べますように」
そう願いながら、その人のために作った一本を山へ持っていく。
僕自身が感じた山の空気や、そこまで歩いた時間も、
その一本の物語にして届けたいと思っています。
想いを重ねた一本を、日常へ
やがて石は、山から日常へ戻ります。
仕事に向かう朝。
少し気持ちが揺れたとき。
何を大切にしたかったのか、わからなくなったとき。
手首の石を見て、自分がそれを選んだ頃の気持ちや、
その一本が山へ行ったことを思い出す。
もし、目に見えない何かまで宿っていたなら、
それは僕にとってもロマンのある話です。
そして、僕が確かにできるのは、あなたの話を聞き、
石を選び、一本に仕立て、自分の足で山へ運ぶことです。
あなたが石を選んだときの想い。
僕がその一本に向き合う時間。
山で出会う景色と、そこで重ねる願い。
そうしたものを、一つの石に織り込んでいきたい。
想いは、場所や石に宿るのか。
その問いを持ったまま、僕は、あなたのために作った一本を山へ持っていきます。
あなたは、どんな想いを石に重ねたいですか。
まだ言葉になっていなくても、今の自分に合いそうな石を
探すところから始められます。
